【急性低音障害型感音難聴】耳鳴りの苦しみから解放された話

耳鳴りで悩んでお悩みの方は多いと思います。わたしも、少し前までは耳の奥で鳴り止まない「音」の呪縛に囚われ、出口のない迷路を彷徨っていました。

今回は、急性低音障害型感音難聴から始まった「耳鳴り」の体験と、そこから学んだ「エネルギーの逆説」について、わたしの個人的な記録を残しておこうと思います。

「1回6,000円」の重みと、YouTube三昧の日々

ある日、わたしの左耳に異変が起きました。低音の耳鳴りが鳴り出したのです。
耳鼻科を受診し、急性低音障害型感音難聴と診断され、標準的な治療(服薬)を受けましたが、聴力自体は回復したものの、耳鳴りが残りました。

医師からは、治療の終了を告げられ、わたしはとても不安になったのを覚えています。
当時のわたしは、この音を消すことに必死でした。

まず没頭したのは、YouTubeです。
寝ても覚めても「耳鳴り 完治」「自律神経 整える」という動画を漁り、画面越しの情報に一喜一憂。知識が増えれば増えるほど、わたしの意識のピントは耳に釘付けになっていきました。
深夜になり静寂が訪れると、耳鳴りが気になってしまうため、「耳鳴りが気にならなくなる」動画を寝落ちするまで流していたこともありました。

そして、藁をも掴む思いで始めたのが鍼治療。評判の良い遠方の鍼灸院へ通いました。
1回の施術料は6,000円。それを週に2回。

「2ヶ月ほど通えば効果が期待できる。通えば治る可能性は80%くらい。」という先生の言葉を命綱のように握りしめていました。
月に5万円近い出費。気づけば総額は10万円を優に超えていました。

「これだけお金を払っているんだから」「週2回も頑張っているんだから」
……その「元を取りたい」という重たい執着のエネルギーが、自分をさらに縛り付けていた気がします。

「治る可能性が高いと言われたのに治らない」の先で起きたこと

先生の言葉を信じて通い続けましたが、一向に鳴り止まない音。
「あんなに言われたのに、どうして?」という焦りや、治らない自分に対する欠乏感が膨れ上がっていきました。

スピリチュアルな視点で後から振り返れば、この時のわたしの波動はボロボロだったのだと思います。
「今のままではダメだ」「この音を消さない限り、幸せになれない」
そうやって「今この瞬間」を否定し続けている状態でした。

1回6,000円の支払いは、いつしか「治るための投資」ではなく、「治っていない自分を再確認するための儀式」になっていたのかもしれません。

治すのを諦めてときから訪れた心の静寂

3か月が経過したある日、パツンと糸が切れました。
「あー、もう無理。こんなに通って治らないなら、もう一生このままでいいや」

それは、絶望というよりも、清々しいほどの「諦め」でした。
週2回の通院をやめ、YouTubeでの検索も卒業しました。

「耳鳴りがしていても、わたしはわたしのままでいい」
「音が鳴っていても、お茶は美味しいし、ギターの音色も心地いい」

そうやって、耳鳴りを「消すべき敵」から「ただそこにある風景」へと受け入れ、自分に白旗を上げた瞬間。
あんなに固く閉ざされていたエネルギーの滞りが、スッと溶け出したのを感じました。

10万円の授業料で手に入れた「フラットな自分」

不思議なことに、執着を手放してからしばらく経った頃、ふと気づいたんです。
「あれ? そういえば最近、耳鳴りのこと忘れてたな」って。

今でもたまに、音が鳴っていることに気づく瞬間はあります。
でも、今のわたしはすぐに「フラット」に戻れます。
「お、今日も宇宙の周波数とチューニング中かな?」と、自然派なユーモアを持って受け流せるようになったからです。

あの15万円は、耳を治すためのお金ではなく、「外側の何かに依存せず、自分の内側で平和を作る」という、一生モノの感覚を得るための『授業料』だったのだと、今は思っています。

不調さえもシンクロの一部として、ただそこにあるものとして眺める。
そんな今の静かな心地よさが、わたしはとても気に入っています。