1kg1,000円。私が自然栽培の『日本晴・はさがけ米』を購入するワケ

スーパーでも1キロあたり1,000円近いお米を見かけるのが珍しくなくなった今。

もし、同じ値段で「自然栽培」かつ「はさがけ」の日本晴が手に入るとしたら。

それは効率を捨てた、農家さんの「志」そのものの数字です。

今回は、一消費者として私がこの一粒をそっと買い続ける、その衝撃の価値についてお話しします。

わたしが「はさがけの日本晴」をそっと買い続ける理由

わたしが数年前から、自分の心と体をビシッと整えたい時にだけ分けていただいているお米があります。

 農薬も肥料も使わない「自然栽培」で育てられ、秋の光とはざ(棚)を渡る風だけでゆっくりと乾かされた、天日干しの「日本晴(にっぽんばれ)」

 わたしはこのお米を、玄米で購入しています。 白米を食べる日が多いので、いつも必ず、というわけではありません。

けれど、日々の忙しさの中でふと立ち止まりたくなった時、この一粒が持つ「静かな力」を借りたくなるのです。

驚くのは、これだけの手間と時間を重ねたお米を、その農家さんは今も変わらず1キロ1,000円で譲ってくださること。

スーパーの棚にある慣行栽培のお米と、ほとんど変わらない数字。

その事実に触れるたび、わたしは驚きを通り越して、どこか祈るような、厳かな気持ちにさえなります。

「後熟」という、自然の魔法 

幼い頃、わたしは祖父母の田んぼの田植えやはざかけを手伝った経験があり、「はさがけ」の光景は特に心に残っています。

刈り取った稲を束ね、重い束を一つひとつ木枠に掛けていく。

まだ小学生だったのに、終わる頃には腰がバキバキで、「お米を食べるのって、こんなに大変なの?」と涙目になったのを覚えています。

 機械の熱風で乾かせば、半日ほどで済むことです。

 けれど、逆さまに吊るされた稲は、二週間、三週間という時の中で、後熟といって、茎に残った最後の養分をじわりと一粒一粒に届き、旨味が増して熟成が進むそうです。

 この静かな時間の中で、アミノ酸や糖分が増し、お米の組織を傷つけることなく、深い滋味が醸成されていく。

それは、効率という言葉では決して測れない、自然と人間が共作する「魔法の時間」なのだと思います。

流行に染まらない「日本晴」の凛とした姿

わたしは昔から、お米は「ササニシキか日本晴」と決めています。

 あのさらりと潔い粒立ちが、私の体には一番しっくりくるからです。

 もちろん、どうしてもこれらが手に入らない時は、しかたなく(お米の神様、ごめんなさい!)コシヒカリを買うこともあります。

それはそれで、「ああ、やっぱりコシヒカリは甘くて華やかだな」なんて、その時だけの浮気心を楽しんだりもするけれど。

 でも、この「はさがけの日本晴」を一口食べると、やっぱり確信します。 「ああ、やっぱりわたしはこの感じが好きなのよー」って。

 今の流行りは、モチモチとして甘いお米かもしれません。

 でも、この日本晴は違います。さらりとしていて、粒立ちがいい。

噛みしめるほどに、お米本来の素朴な味わいがふわっと広がります。

 玄米でいただくと、その個性がより愛おしく感じられます。 

今の暮らしに馴染む、背伸びしない、けれど凛とした味。

 具沢山のお味噌汁と梅干しさえあれば、それだけで「ああ、いい一日だったな」と思えるような、そんな力を持ったお米です。

納得と、敬意を込めた一粒

このお米を一番いい形で受け止めたい時に、わたしは同じ農家さんの平飼い卵と伝統的な製法で作られた醤油を用意します。

 卵は6個で400円。醤油は1本1,000円。 決して贅沢をしたいわけではありません。むしろ、普段の暮らしはとてもつつましいものです。 

ただ、農家さんが命を削るようにして守り抜いた一粒。その背景を知っているからこそ、それを大切にしたいのです。

 炊きたての玄米に卵を落とし、醤油をひと回し。 卵液に埋もれることなく、一粒一粒が口の中で存在を主張する。

 たったそれだけで、他に何もいらない、心から満たされるご馳走になります。

買い支えることは、景色を繋ぐこと

米騒動が起きる前から、わたしはこのお米を選んできました。

 生産者の女性と何度かお話しする機会があり、気づけば数時間が経過していたほど話が弾み、そのお人柄に、彼女のファンになりました。

 当時からその品質は抜きん出ていましたが、今はそれ以上に、この農家さんの「志」そのものを買い支えたいという想いが強くなっています。

 「お米は毎日食べるものだから、買いやすい値段で届けたい」 そんな、言葉にすらしない農家さんの矜持が、この1,000円という数字には刻まれている気がしてなりません。

 祖父母が米作りをやめたとき、あの「はさがけ」の景色もわたしの周りからは消えてしまいました。

だからこそ、今もその苦労を背負い、不確かな自然と向き合いながらお米を作る方がいることは、一消費者としてわたしの希望です。

 自分なりのペースでいただく、この日本晴。 

一口食べるたびに、はざを揺らす秋の風と、あの温かな陽だまりを思い出します。 

これからも、この大切な「本当の味」が続くことを願い、このお米を味わいたいと思います。